善を好む

僕は毎週輪読会というサークルで仲間と孟子、そしてその孟子について吉田松陰が講義をされている講孟箚記という本を輪読している。今回は孟子の告子章句下十三章だった。


ここで一番大事なのは「善を好む」という言葉だろう。孟子は善を好むものには天下のさまざまなところから千里を遠しとせずして、善いことを聞いてもらうためにさまざまな人が集まる。そして、こぞってこんな善いことがあるという話を教えてくれると言っている。善を好むということを僕は初め読んだとき正しいことを行おうという志を持っているという事なのかと考えたが、これは浅い理解であったと思う。一緒に読んだ仲間の一人が善を好むということはきっと善というものを知りたくてしかたがない状態なんだろうなと発言した。知りたくてしかたが無いとなれば、善いことを人が述べたとき身を乗り出してその話を聞き漏らすまいとするだろう。その姿勢こそが人を集めるのだ。(自分一人では行き着けない部分についてまで理解を広げてくれる輪読というのはありがたいものだなぁ。)


これは国家運営において述べられているが、日常生活に置いても活用しうる事だと思う。自分が成長できる、善いことを行えるアドバイスを聞き漏らすまいとする姿勢を持てば、多くの師を得られるだろう。概念論としてでは無く、自分の日頃の生活において心にとどめたい。


ここで、ネットに多くの関心を寄せている者としては、ネットについて思いを巡らせずにはいられなかった。孟子は千里を遠しとせずして来ると述べておられるが、ネットにおいてはそのようは地理的な障害は存在しない。また時間的拘束からも自由である。ならばネットにおいて善を好むという姿勢を実行したならそこで得られる物はかつて地理的な条件が障害であった頃からしたらさらに莫大になるだろう。こんなことを考えるととてもどきどきしてきた。


最近はてなの社長の近藤さんが書かれた「へんな会社の作り方」という本を読んだが、まさにはてなはネットにおいて善を好むという事を実践しようとしているのでは無いかと感じた。この点においてはてなは今後の企業の在り方に付いてのロールモデルに成り得る存在になるのでは無いかと思った。