サイボウズ新卒採用説明会もとい松山観光に行って来た

サイボウズの新卒向け説明会に行って来た。
以前もエンジニア向け就活セミナーに参加したが、この時は東京、大阪のみでの開催で、日程の関係で東京の方に行った。
だが、今回の説明会は松山でも行われるという事で、九州人の僕は交通費も助かるので松山での説明会に参加させてもらった。

松山は以前から行ってみたい街だった。

僕が初めて触れた文学と呼べる物は「坊ちゃん」だった。小学生の時に父が子供でも読めるようにふりがなを振ってある「坊ちゃん」の文庫を買って来て、ただ「読め!」とだけ言って渡された。なんだか横柄な感じがして、しばらく放置していたが、度々父が「読んだか?」と聞くから、まあ読んでもいいかと読み始めると、あっさりと最後まで読んでしまった。活字だけの本というのは難しい物だと思っていたが、この時感じたのはただ「おもしろい話だな〜」といった物だったかと思う。しかし、かといって小説にはまり、文学少年の道を歩み始めるという事は無かった。面白い物だとわかっても、活字のみの本は「勉強」に分類される物で、自分から手に取る様な物ではないと思っていたのかもしれない。(勉強嫌いな子供だったから)そういった経緯で幼い頃に「坊ちゃん」を読み,そして、その舞台は松山だった。


こういった読書の初体験である「坊ちゃん」の舞台という事で印象に残っていたという事と、もう一つ理由がある。といってもこちらも読書がらみなのだが。


松山というとやはり有名なのは「坂の上の雲」だろう。これは大学に入ってから読んだわけだが、明治初期の書生の学問というものの凄まじさに、感心させられた。感心させられたというのは、まだ表現が弱いかもしれない。ショックだった。自分も学生であるのに、その学問への姿勢はなんと違うのかと思った。そして「坂の上の雲」の中心人物である秋山兄弟と正岡子規は松山の生まれだった。


とにかく、松山は一回行ってみたいな〜と、たまに考えていた。そして、今回丁度いい事にサイボウズの説明会が松山であると言う事で、出来れば観光もしたいなと考えた。

そして松山へ

フェリーに乗って、説明会の前夜に松山に降り立つ。もう遅い時間のため、そのまま調べておいたネカフェに入って朝まで過ごした。
翌朝、まずは前日に看板で見かけていた坂の上の雲ミュージアムに行く。
主な展示物は坂の上の雲をテーマとした絵画、写真、彫刻、感想文、俳句、短歌、詩、漢詩などと年表のパネル、書簡などの資料であった。松山市内の中高の作品も多くあったが、さすがは地元ゆかりの物語だけあって授業の中で坂の上の雲を取り上げるのだろう。中には「坂の上の雲」というタイトルをコンセプトにしたものが多かった。自分も坂を懸命に駆け上がって雲をつかむんだとかいった様に。気になったのは学生が出している物のこのタイトルに対する解釈がみな同じであった事だ(読み漏らしがあるかもしれないので皆と言うのは言い過ぎかもしれない)。僕はこのタイトルは、坂の上の雲を目指して懸命に坂を上っていくが、現実的な問題として坂を上り詰めても雲に手が届く訳ではない、必死に求めても手に入る事はないという儚さを表しているのではないかと思っていたので、そのギャップでよけいに気になった。(旅の道すがら、藤原正彦の「祖国とは国語」を読んでいた事も原因の一つかもしれない。国語の授業で教師は生徒に文学の解釈を押し付けるのがいけないという件があったと思う)

秋山兄弟の生家

次は松山城に行こうと歩いていると、秋山好古秋山真之の生家という案内があった。これは無視できないぞと、その案内に従って生家を見に行く事にした。そこに着くと、たくましい馬にまたがった好古と、なんだか顔が大きい真之の銅像に迎えられた。建物自体は非常に小さく、説明をして下さったおばさんが、好古は陸軍大将まで勤られたのにこんなに質素な家に住んでいたんですよと言われていた。好古は退役後ここから校長を務める北予中学校に通っていたそうだ。ビデオを見せて頂き、好古の息子さんの話す晩年の好古の様子を聞く事ができた。見学中に自衛官が6人くらいの団体で訪れていた。自衛隊でも秋山兄弟は大切にされているのだなと印象的だった。ちなみに建物は大戦中に焼けてしまったが、有志の寄付により復元されたらしい。

サイボウズ説明会へ

次は松山城に行こうかと思ったが、時間の関係上サイボウズの説明会会場に向かわねばならない時間になっていた。歩いてきた松山城への道を戻り、バスでサイボウズ松山支社のある松山空港方面へ向かった。サイボウズのHPにあった地図を頼りに会場へ向い、少し遠回りをしながらも、無事に開始30分前に会場に着く事ができた。会場へは一番乗りだった。その後ぽつぽつと他の参加者が集まりだした。社員の方が常に会場となった会議室におられ、僕たちが退屈するだろうと考えたのか、緊張をほぐそうとされたのか、時折「どうやって来たの?」など質問をされた。親切そうな人だなと思いつつ開始を待った。開始時間になっても4人ほど学生が来ていなかったらしい。開始時間になり会場のドアを閉めようという時も、慌てて向かって来ている学生はいないだろうかと、ドアを閉めるのをためらいつつ何度か廊下の奥を見たりしている社員の方の姿に、本当にいい人だなと和んでしまった。以下は内容について、

サイボウズは日本人が大切にしている「和の文化」や「チームワーク」を世界に輸出して行く

サイボウズグループウェアは日本人にとって使いやすいように最適化されているらしい。そのような製品を海外で使ってもらうという事はつまり日本人がチームで物事を行う時の方法論を輸出するという事だろう。そして、企業として行っている訳だから、その日本人の方法論の素晴らしさを認めて、サイボウズのシステムを導入してくれる企業が無いと話にならない。そうするためには「和の文化」や「チームワーク」を大切にするとどんなに事が上手く進むかを説明できなくてはいけないと思う。この「サイボウズは日本人が大切にしている『和の文化』や『チームワーク』を世界に輸出して行く」という志はとても印象に残ったのだが、その日本人の方法論の優位性という所をしっかり質問すれば良かったと後悔している。優位性を考えるときにはAに比べてBはXというやり方がYという点において優れているという様な形で論ずる事になると思うが、今の僕は海外の企業の方法論も理解していなければ、日本企業の方法論も理解しているとは言えない。こんな状況で日本人の方法論の優位性を考えるには材料が無さすぎる。
とは言っても「和の文化」は好きだ。僕は。和の文化の根底には性善説があり、仁があると思う。

・スローガン「グループある所にサイボウズあり、サイボウズある所にチームワークあり」

採用への評価の軸に「高い志」とあったが、なるほど、実に高い志だと思う。

・盛んな部活動

サイボウズは社員の部活動が活発らしい。昼休みにはDS部が昼練と言う事で職場をテレビ電話で繋いでDSをピコピコしているという話も紹介された。社員の幸福を追求するという話があり、この部活動もその社員の幸福への追求に一役買っているのだろう。また「和の文化」にも社員の信頼関係というのは不可欠であり、その信頼関係の構築にも役立っているに違いない。サイボウズは「和の文化」に支えられているという青野社長の言葉も伊達ではないようだ。

サイボウズのテーマソング


君が代を歌うと家族を失うに等しい苦痛を感じる人がいるらしいが、これを歌うと実際に死の恐怖を感じかねない。だって聞いただけで腹筋が苦しくてs(ry


以上で感想おわり。15時前には終わって、再び松山観光のつづきに行った。

松山城

説明会が終わると、そのままバスに乗って松山市街地に戻り松山城に向かった。松山城天守閣への入場時間が16:30までだったのだが、途中に書店によったり、取り損ねていた昼食を取ったりしているうちにぎりぎりの時間になってしまった。到着すると、門の所からおじさんが駆け寄って来て、入場は16:30までだからまだぎりぎり入れるよと教えてくれた。時間を見ると16:29だった。慌てて入場券を買って入った。以前行った熊本城と異なり、床は全て板張りで当時のままといった様子だった(熊本城の床はコンクリだった)。時間ぎりぎりで入った事もあり、観覧者は少なく。ほとんど一人きりで見て回っているかんじだった。城の中は多少薄暗く、展示してある鎧もなぜか不気味に感じられた。一番不気味だったのは、見ている物が誰もいないのに説明を続けているビデオの音声だったが。解説を読むのもほどほどに足早に進んで行った。かなり急な階段を上り詰めるとついに天守閣に行き着いた。ここには他の観覧者もおり、一息着いて赤く染まりつつあった松山の街を眺めた。日本の町並みはどこもそうだと思うが、レゴブロックを無作為に並べた様な町並みだった。坊ちゃんや秋山兄弟が住んでいた明治初期の松山の様子はどうだっただろうかと夢想したが、わかる訳が無かった。ちょっとセンチになった所で、見学を終え次なる観光地に向かった。

道後温泉

松山といったらもう一つ外せないのは道後温泉だろう。旅の終わりに温泉につかるというのもいいなと路面電車に乗って道後温泉に向かった。途中に道後公園前という駅があって、道後温泉へはもう一駅だから散歩でもしながら向かうのもいいなと思いここで電車を降りた。道後公園は城跡に出来た公園らしく、堀で囲われた城跡をぐるっと回る形になっている。案内を見ると子規記念館という建物も敷地内にあり、これは是非覗いて行こうと思って、芝生の上を歩いていく。広場には一人でサッカーボールを追いかける子供がいたり、どこかの学校の部活動だろうか、輪を作ってストレッチしている人達がいたり、犬の散歩をしながら、顔見知りと雑談している人がいたりとにぎやかだった。もし、サイボウズに入ったら松山勤務になってここに住むのもやぶさかではないなと考えたりもした。子規記念館に着いたが、既に開館時間をすぎており、中に入る事は出来なかった。


公園から出て、立寄で入浴できる温泉を探しながらあるいた。ホテルがたくさん並んでいるが、どこがいいかしらときょろきょろしていると道後温泉本館というおおきな看板がある。本館とは大きく出たな、そういえば元祖長浜ラーメンはあんまし旨くなかったなとか考えつつ看板の通りに歩いて行くと、ずいぶん立派な木造の建物が現れた。案内板を見てみると、どうやら坊ちゃんの中にも登場するという実際に100年前からある由緒正しき大衆浴場なのだそうだ。特に何も考えず、入浴のみの券を買う。いやー、温泉はいいね。なんだかすごく贅沢をしてる気分になった。帰ってから調べてわかった事だが、館内の見学コースがあり、皇族専用の浴場や、漱石が執筆した部屋などを見学できたらしい。まぁ、次はサイボウズの座談会があるらしいから、そのときにまた来よう。


その後港に向かい、6時間の船旅を経て無事福岡に帰ってきた。これでもずいぶんはしょったのだが、長くなってしまった。とても楽しい一人旅でした。