黒いスーツの人たち

今日はスーツのアメリカ人が二人訪ねてきた。
モルモン教の人らしい。
せっかく訪ねて来たので、無碍に追い返すのも失礼かと思いちょっと話してみた。
二人はキリスト教の神の存在、その教えに対して絶対的な信頼と確信があるようで、モルモン書によってその証が示されていると説明した。
僕はそういうものに対する確信は自身の体験から得るものではと聞いてみたら、二人はその厚い信仰を持つに至った経験があるとのことだった。
また、キリスト教徒でありながら他宗教の儀式に参加することをどう思うか聞いてみた。
曰く、例えば自分は仏教の葬式に出たことはある。そのときは仏教的な作法で参加した。そのことは問題はない。大切なのは心の向きだ。と言ってた。
つまり、作法には従うがその心は常にキリストに向いており、そうであるなら他宗教の儀式に参加することは問題ないということだろうか。
ここには違和感を多少感じたが、うまくいえそうになかったので言わなかった。
二人は日本語があまり得意ではなさそうで、終始電子辞書を手に取っていたので、このせいでうまくニュアンスを表現できていないのかもしれないが。
違和感というのは手を合わせ南無妙法蓮と唱えながら心の中で天にまします我らの父よと唱える姿を思い浮かべたからだ。
弔われる側からしたらどう思うのか?
その儀式の形がもしキリスト教的道徳観に反するものであっても、形だけはそれに習うのか?
他宗教とどう接するかについて僕の中での結論は未だないわけだが、上のような形にも疑問がある。
全体的に色々な物事に対して性急に答えを出しすぎているのではないかとも思った。
質問の答えに対する根拠にモルモン書のこのページに書いてありますとたびたび示されるのには参った。
でも、モルモン書だけでないおそらく彼らの個人的な考えも聞けた部分もあったので、楽しく話が出来た。
今後一緒に聖書を読んだりする時間を取れますかと聞かれたが、それは断った。
モルモン書をお土産にもらったのでそのうち読んでみようかと思う。